なぜ?春に散るの映画と原作小説の違い3選!変更理由や意図も

春に散るの映画を観たけれど、原作小説とどう違うの?

変更になった理由や意図を知りたい!

そんなあなたに向けて、原作のファンである私が、映画と小説の違いについてご紹介します。

映画では若きボクサーの目線と元プロボクサーの目線、両方から描かれていました。

一方、小説では引退した元プロボクサーの目線からほとんどが描かれていたことが大きく違いました。

詳しい違いや変更の意図についても書いています。

ご興味がある方は読んでみていただけたら嬉しいです。

なぜ?春に散るの映画と原作小説の違い3選!

「春に散る」は、元ボクサーと若きボクサーとの出会いによって変わっていく生き様を描いた物語ですが、映画と原作小説とでは大きく違いました。

春に散るの映画と原作小説の違い3選についてご紹介しますね。

違い①小説と映画では誰の目線で観ているかが違う!

小説は老年の元プロボクサーである広岡(ひらおか)の目線から物語が描かれています。

一方で、映画は横浜流星さん演じる若きボクサー翔吾(しょうご)の目線と広岡の目線、両方から描かれています。

これが大きな違いで、目線の違いが小説と映画の違いを生んでいました〜。

小説は、引退した元ボクサーが今後の人生をどう生きていくかに焦点が当てられています。

元ボクサーのためのシェアハウスを作ろうという話から始まります。

なので、小説は上下巻あり長編小説なのですが、若きボクサーである翔吾に出会う前までの物語が上巻を占め、しっかり描かれています。

違い②若きボクサー翔吾(しょうご)の生い立ちが違う

若きボクサー翔吾(しょうご)の生い立ちも小説と映画では異なっていました。

小説では、若いボクサー翔吾(しょうご)は父親がボクシングジムの経営者で恵まれた環境に育っている設定になっています。

現代の若者を象徴するような豊かであるが故に自分の生きる道を見失った存在です。

一方映画では、翔吾は貧困家庭のシングルマザーの元で育った設定になっています。

これは映画の中では、わかりやすい翔吾の母親への優しさなど、ボクシングをする力の原動力となっていました。

違い③佳菜子(かなこ)の生い立ちが違う

映画と小説では佳菜子の生い立ちも異なっていました。

春に散るの中で、重要な役割をしめる女性、佳菜子(かなこ)。

小説では佳菜子は不動産屋で働く、複雑な過去を持った女性でした。

一方映画では、佳菜子は元プロボクサー広岡の姪となっていましたよ。

そして映画では佳菜子は子どもの頃から父親の世話をするヤングケアラーの設定になっていました。

小説にはない問題点を入れることで、ヤングケアラー、若者の生き方に焦点を描いた映画となっていました。

以上、映画と小説の違い3選についてお伝えしました。

一番大きな違いは、小説が元プロボクサー平岡の目線から描かれてましたが、映画は若きボクサー翔吾の目線からも描かれていたことです。

なぜ、映画が原作とは違っていたかについては、次で考察してみますね。

変更理由や意図を推測してみた

原作小説をなぜ変更したのか、変更理由や意図について考察してみます。

一番の理由は、映画が過去が交錯する中で、「今を生きること!」に焦点を当てて創ったために、変更する理由が生まれたのだと思います。

小説では、引退した元ボクサーがどう残りの人生を過ごしていくかが重要なテーマです。

そして、過去の自分に似た若きボクサーと出会うことで変わっていく運命について描かれています。

映画は「今」に焦点を当てたため、若いボクサー(翔吾)の情熱的な欲望や、ボクシングシーンのリアルな「今」を生きる様子が描かれています。

なので、翔吾が貧しい家庭の出身だったりすることで、より今を生きる力強さがわかる設定になっていました。

変更した意図については、監督が何をテーマに描いたかによると思うのですが、こちらのインタビュー記事が参考になると思います。

今回は“老いと若さ”がテーマです。沢木さんが昔、老いと若さについて書いていたときは若い側にいたと思いますが、今は沢木さんだけでなく、僕も浩市さんも老いの側にいる。そういう世代に至って、もう一度ボクシングという題材で人生を見直し、生きるとは何ぞや、生きる時間とは何ぞやといったことを考える。若い世代は、その世代のまた別の取り組み方がある。この映画がそういうことをみんなで考えるきっかけになればと思います。

瀬々敬久監督  SCREEN インタビューより抜粋

つまり映画は「老いと若さ」をテーマにしたことで、老年ボクサーと若きボクサーの視点が必要だったわけですね〜。

大きな違いの謎が解けました。

おわりに

なぜ?春に散るの映画と原作小説の違いについて考察してみました。

映画では、元ボクサーと若きボクサー、両方の目線から描き「今」について描いていました。

理由は監督が、小説が持つテーマである若さと老いに焦点を当てたからだと言うことがわかりました。

 映画も良かったですが、原作の小説もかなり面白いです。

私は小説を読んで、ボクシングの魅力を知ることができました。

ボクシングって個人競技なので、自分のさじ加減で勝つことも負けることもできるんですね〜。

どう戦うかは自分で選ぶことができ、ボクサーはリングの上では無限に自由で無限に孤独!

この自由で、孤独なボクサーの様子が淡々とした描写の中でリアルに感じました。

そして元ボクサーたちも自由で孤独な生き方をしています。

人間のある本質は自由で孤独だったりするのかもしれません。

そんな中でも生まれる仲間との繋がりや、再び情熱を持つことの喜び、そんな生き方の例がたくさん詰まっていました。

こんなに読みやすい情景描写をしながら、人間の本質を書き切ってしまう沢木耕太郎さん。

この本は朝日新聞に2015年4月から20161年8月までに連載されていた小説です。

ご興味がある方は、面白いので読んでみるとまた新しい春と散るの魅力を知ることができるかもしれません。

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